猫小説『佐々木テンコ』第3章「プが、いなくなった」

猫一匹拾っても、世界は変わらない。でもその猫と家族にとっての世界は、まったく違うものになる。

実話を元にした猫小説、連載第4回。売り手が見つからなくて、きょうだいと一緒に捨てられた?――そう推測した夫婦は、保護した猫「テンコ」を正式に迎えることに…。

 

朝。お昼。夕方。夜。真夜中。これがグルリとまわることを「一日」っていうらしい。

そして一日が七回まわると、「一週間」。

 

わたしがこの家に来たときは、ちょうど「お盆休み」のすこしまえだったよう。ランもプも、

「お盆休み前でよかった。テンコがうちの家に慣れるまで、ゆっくりと側にいることができる」と、ほっとしている。

ランが、

「盆休みも終わり。明日からはまた朝から晩まで病院だ」と言ったつぎの日から、ランは五日間、ほんとうに朝から夜まで家にいなくなった。六日目も朝に出かけていったけれど、六日目はお昼に帰ってきた。そして夕方になると、ランとプはわたしに、

「お留守番、お願いね」と声をかけてから、どこかに行った。

真夜中に帰ってきたランとプは、あの暑い夜のときとおなじ。ヨッパライに戻っていた。ベッドにふたり並んで寝ころんで、出窓にいるわたしを見ながら、

「なんで、テンコは来てくれたのかな? ありがとう」

 

「いっそのこと、『何月何日生まれの子、メインクーンっぽい子です。もらってください』という手紙を添えて、玄置の真ん前に置いてくれたらよかったのにね。女の子ってことしか分からないから、この先のお世話で悩むかも」

「分からないほうが、楽しいこともきっと多いよ。テンコなら想像もしないことでも、やってのけるのかもしれないって思うと、むしろワクワクする」

って、ずっと話している。

七日目も夕方にどこかに行ったけれど、この日帰ってきたランとプはヨッパライじゃなくて、

「来週分の買い出し終了!」と言いながら、玄関にたくさんのものを置いた。青っぽい草が袋からはみ出していたからかじろうとすると、

「ネギはダメ!」とちょっときつく言われて、ションボリしてしまった。

ランはつぎの一週間も、そのまたつぎの一週間も、そのつぎのつぎの一週間も、ずっと同じ。最初の五日間は、朝から夜までいない。そして六日目にはお昼に帰ってくる。でもプは、イマイチわからない。ずっとパソコンの前に座っている日もあれば、「さ、取材、取材」と、バタバタと出かけていく日もある。

わかっているのは、ずっとプがパソコンに前のめりになって、パチパチの音をとぎれさせないときと、パチパチがピタッと止まってしまうときがあること。まったく止まってしまうとプは背伸びをしたり、天井をじっと眺めながら、しばらくして「や~めたっ!」と言う。そして「気分転換に、そろそろ洗濯と掃除でもするか」とか、「そろそろ夕ご飯を仕込むか。あ、卵が切れている!」とかブツブツ言って、パソコンの前から離れて、夕方にはどこかに出かけるときもある。

 

ランとプの夕ご飯は、長い。プはこの長い夕ご飯のことを、「居酒屋ささき」って呼んでいる。居酒屋ささきでは、ランはいつもプに、

「どう、仕事は進んでいる?」とたずねる。だいたいプの答えはおなじ。

「ボチボチ。まぁ間に合いそう」

「余裕だね。羨ましい」

するとプは、すこし謝るような顔で言う。

「ランは人間のお医者さんだから。いったん病院へ行ったら、患者さんや病気に待ってくれ! とは言えないし……毎日、判断や速さと正確さを求められて。自分のペースで仕事を進められる私はラク」

たしかに「ラク」なんだろうな。朝、駅に突進していくヒトたちを、あの場所でずっと見てきたけれど、プはああいう感じじゃない。「ちょっと、休憩」と言って、ベッドにゴロンとするのも見たことがある。

 

窓の外の下からは、朝から晩まで車が通っていく音がする。でもこの家の下で、夜にとまる車はひとつだけ。それはランの車だ。ほかの車とはちがう音がする。だから今日もランの車の音がしたとき、パソコンのまえでパチパチしているプに、「んにゃ!」と鳴いた。プが言うには、「テンコはニャ~って鳴かないね。高いニャの声の前に『ん』とか『ゴロ』が入る。メインクーンって、嬉しいときに、そういう鳴き方をするみたいだね」

じゃぁ、ランが帰ってくるのはうれしいのかな?うん、うれしい。

「で、どうしたの?」と言ってわたしをなでようとするプの手をかわして、玄関のほうへ歩くと、プが後ろをついてきた。そこで左に曲がってドアにからだをあずけるように思いっきり

背と前足をのばして、爪でカリカリとやってみた。

「出たいの?」

プがドアをあけると、一気に外の音はおおきくなる。むぅっとした空気。でもあの暑い夜ほどじゃない。下を見ると、やっぱりランの車がある。プも車に気づいて「もしかして、ランが帰ってきたって、音でわかったの?」とわたしに声をかけてから、「ラン、おかえり~!」とおおきな声を出す。こちらを見上げたランはちょっと不意をつかれたようだったけれど、おおきく手をふった。

エレベーターで上がってきたランは、「俺が帰ってくるの、ずっと外で待っていたの?」

「ううん、テンコが教えてくれた。テンコはランの車のエンジン音が分かるみたいよ?」

「へぇ。すごいねぇ」

わたしを見るランの目が丸くなる。

「今日は暑すぎないし、ポーチのベンチで、ビールでも飲もうか。ビール、冷えてる?」

プは冷えたグラスふたつと、冷えたビール、わたしのまえにはおやつのカリカリが入った小皿を置いてくれた。

「だいぶ、この時間も過ごしやすくなったよね。猫と一緒に外で飲むって、私、初めてかも」

「今日はすこし風もあるのかな。テンコのたてがみが揺れている。優雅だなぁ」

「ちょこちょことメインクーンを調べているのだけれど、メインクーンは二年から三年かけて、大きくなるみたい。意外とテンコ、まだ生まれて半年くらいなのかもしれないよ?」

「そうだったら、嬉しいね。テンコと暮らせる時間が、思っているよりも長くなるかもしれないってことだから」

あの暑い夜には、聞こえてこなかった虫の声もたくさん聞こえてきた。ランとプからは見えない場所に、息があるかないかの黄色い小鳥がいた。ランとプがおしゃべりしている間に、わたしはそっとこの小鳥をくわえて、お部屋のソファーのうしろにあるすき間に隠した。はじめての狩り。私しか知らないヒミツ。

「ところで、プの来週の予定は?」

「夕方に買い物に行くくらいで、お昼はお家で仕事」

それからというもの、プがお昼に家にいるときは宅配という段ボール箱がつぎつぎと届く。それはランがわたしのために買っているらしい。

この子はきっともっと大きくなるから大きめのトイレ
人気の猫砂
いろいろな高さのキャットタワー
たくさんのおもちゃ
使い勝手がよさそうなブラシとコーム
おいしそうなゴハンとおやつ
猫草

ランが家に戻ってくると、

「受け取った?」ってプにたずねる。

プが「そこに、ぜんぶあるよ」と答えたら、ランは食事もそっちのけで「気に入ってくれるかな」と、うれしいのか不安なのかわからないような様子で、段ボール箱をあけて、なかみを確かめたり、組みたてたり。

「わたしも手伝う!」と近づこうとするプに、ランは、

「いや、俺のほうが、絶対に器用だから。ジャマ、ジャマ」と手で追い払うような仕草をする。

 

そう、ヒトって器用なヒトと、そうでないヒトがいるのだな。

ランがブラシやコームをつかってゆっくりと丁寧になでてくれると、ほんとうに気もちよい。「そこ!」って思っていた場所に、ブラシやコームは、なめらかにすべり落ちていく。

でも、プはだめ。プは、

「このビロードのような手触りのおでこ!」と言っているうちはよいのだけれど、後ろ足の裏とか、ちょっと苦手なお腹のあたりも、おなじ調子でグイグイくる。だからわかってくれるように、前足でプの手を押さえてみたり、わざと反対側を向く。

遊びかたもいっしょ。プは五つくらいのおもちゃのネズミがつながったものを持って、広いけれど片づいていない部屋を、いつも勢いよく走りまわる。そしてふり返って、わたしがいないことに気づくと、とっても不思議そうに、「テンコ、ネズミはここだよ~」とさがしにくる。遊んでもらっているより、遊んであげているみたい。

ランはちがう。ネズミをうまく隠すから、どこからネズミが出てくるかわからない。わたしも身を隠したり、待ちぶせしてみたり。すこしずつ近づいて、一気にしとめることができたと

きの、ランの「ほぅ」って顔を見ると、なんだか「でしょ?」って気もちになる。

 

居酒屋ささきで、ランが言った。

「こんなに賢い猫が、お昼に何をしているか知りたいな。プが家にいるとき、テンコが凄いことをしたら、メモしておいて。居酒屋ささきの楽しみがひとつ増える!」
こういうときのプは、素直だ。

ランが家に帰るすこしまえに、プのケータイというものが鳴る。ランからだ。

するとプはすこし慎重に「これは仕事用じゃない。うん」と確かめつつ、紙をいちまい選んでから、パソコンの前でパチパチしているときよりも、ずっとマジメな顔をして、「あれもあった、これもあった」と書いていく。書きおえると、わたしに見せながら、「今日はこんなだった?これで合っている?」って読みあげていく。

 

今日もよく食べました
でも美味しいやつから選んで食べたでしょ
グルメだね
トイレも問題ナシ
猫じゃらしは今日も私が負けました
こっそりと育てていた猫草を見つけて食べてしまいました
今宵もランのエンジン音を私に知らせてくれるのかな

 

そこにはわたしを描いているのかな?ヘンな絵もたくさんある。

 

居酒屋ささきで、プがメモを読むとランが笑う。

「プの単純な猫じゃらしじゃ、負けて当たり前。弱った親子ネズミが、窮鼠猫を噛むくらいの勢いでテンコと攻防するくらいのストーリー性がないと、テンコは本気になってくれない」

「役不足ってこと?」

「まぁ、がんばってみて」

 

そんなランなのに、ある日、寂しそうに言った。

「大昔にいたミミはね、俺の膝に乗るのが大好きで。亡くなる前日まで俺の膝に乗ろうとして。最後に乗ろうとしてよろめいたときに、『あ』って思った。でもテンコは俺の膝に乗ってくれないね」

するとプが、私をひょいと抱き上げて、ランの膝に乗せた。そしてひさしぶりにヨッパライの歌を歌いはじめた。

あついあつい夏の夜

おなかぺこぺこのみぴんぴん

 

ランは「無理に抱いちゃ、嫌がるよ」と止めたけれど、これを歌われると、いつも「どうでもよい」という気もちになる。
すこし狭いなぁと思ったら、

「テンコが膝に乗らない理由が分かったよ。ラグビー選手くらいの体格じゃないと、テンコにとっては窮屈だ。やっぱり大きな猫さんだ」と言うランに、

「たんにランの足が短いんじゃないの?」とプはからかいながら、「初乗り~」とカメラでパシャパシャし始めた。

プがはしゃぐと、ランもはしゃぎはじめて。

ランとプってほんとうに、すぐ、はしゃぐ。でもふたりがはしゃいでいるのを見ているのは嫌いじゃない。はしゃぎすぎて、たまにわたしのゴハンの時間が遅れたとしても。

 

「テロンテロンの夏布団をそろそろ、秋物に変えようか?」とランが言った頃。

プは「そんな時期かぁ。私は来週から一ヶ月くらい、予定通りに出稼ぎに行くね」と答えた。

「出稼ぎ」と言ったプは何日かあとに、見たこともない大きな箱に、見たこともない丁寧な手つきで、

「これがないと、現地で困るのよね。でも入れちゃうとでも重量でひっかかるか」とか言いながら、箱の中にいろいろなものを入れていく。

けっきょく、プは真夜中になるまでたくさんのものを入れては出し、出しては入れて、頭を抱えていた。

おおきな箱は「スーツケース」というらしい。すこし小さめで頑丈そうな箱はわたしたち猫が入るキャリーケースじゃなくて、ほかのキャリーケースみたい。プが大切に使っていたパソコンや、おおきいカメラを入れるたびに、また頭を抱えている。そして「絶対になくしたらダメ!パスポート入れた!お財布入れた!忘れ物なし!」と何度もブツブツつぶやきながら、ショルダーバッグとやらに、こまごまとしたものを詰めこみおえると、「出稼ぎ準備、完了!」とキリッとした顔にかわった。こんなに気合いのはいったプ、はじめて見る。

ただなんとなく、プにはしばらく会えないような気がした。

 

朝、ランが出ていった。

しばらくすると、スーツケースやキャリーケースやショルダーバッグを引きずってきたプが、玄関に立って、わたしをふり返った。

「あなたは賢い子だから。私が一ヶ月やそこらいなくても、覚えていてね」

そのあとにぎゅぎゅぎゅっとわたしを抱きしめた。

たくさんのものを持ったプがドアの向こうに消えていく後ろ姿は、やっぱり、いつもとちがう。

 

じっさいに、プはそれからいなくなった。

プは自分勝手なヒトだ。

「気分転換に」って言葉はたくさん聞いたけれど、わたしがユックリしていたいときでも、あのヘンな「あついあつい夏の夜」を歌いながら、わたしを探してお腹に顔をうずめてくるし、なんていったらよいのかしら。「テンコ、大好き!」って言われても、ときどき、ちょっとめんどうくさい。

そんなプでも、いないよりは、いたほうが退屈はしない。あのもの足りない猫じゃらしでも、遊べないよりは、遊べたほうがいい。パソコンのパチパチとした音も、消えてしまうと「この家って、こんなに静かだったっけ?」って思う。

ランは最初の五日間は、朝から夜までいない。そして六日目にはお昼に帰ってくる。帰ってくるといつものように、窓の外からはランの車の音がする。でもプがいないと、ランが帰って

くることを知らせるヒトがいないから、ランがドアをあけるまで玄関で待っている時間が、とても長い。

そしてランはプがいないと、まったくはしゃいだりしない。そんな一週間が、なんかいか続いた。

 

家がシンとしていることにもなれたある日、いつもは静かなお昼に、ドアからガチャガチャと音がした。こっそりと玄関を見にいくと、ドアの向こうからあらわれたのは、プ?

プは出かけるよりも、もっとたくさんのものを持っていて、でもものをポーチに放ったまま、「テンコ~、テンコ~」呼びはじめた。ついつい「んにゃ!」と鳴いたら、すぐに見つけられてしまった。プはケータイを構えてウニャウニャ言いながら、わたしを追っかけてくる。控えめに逃げたりしても「テ・ン・コ」と、うれしそうにスリスリしてくる。

これは、まぎれもなくプ。

やれやれ、どこに行っていたのやら。

でもプは「どうにか」という感じで、ポーチに放りだしたたくさんのものを玄関まで運ぶと、ささっと服を着がえて、ベッドに倒れこんだ。そのあとはわたしを呼びもせず、追っかけもせず、コトンと眠ってしまった。

あの暑い夜を思い出した。あの夜、わたしも疲れていたけれど、いまのプはきっと疲れているのだろうなぁ。

その夕方、いままでで、いちばんおおきな段ボール箱が届いた。

そして夜にランが帰ってくると、待ちに待っていた!という顔つきで、「今日はちょっと、

プも手伝って」と言ってから、天井まで届くおおきなキャットタワーを作ろうとした。

でもそのキャットタワーを置くためには、部屋の古ぼけたソファーを動かさないとならないみたい。

ヤバい。わたしはソファーの後ろに、黄色い小鳥を隠している。あれからポーチやベランダに鳥が来ることはあまりなかったけれど、狩るってことは好き。そしてこの家でたったひとつのわたしのヒミツが、あの黄色い小鳥だったから。

 

ソファーを動かしはじめたプがのけぞった。ふるえながら「変な虫がソファーの後ろから、出てくる!えっ、つぎはこれって……鳥の羽根!?」と叫んだ。

ランがソファーをガツッとひっくり返した。虫と小鳥を見つけたランの顔もうれしそうではなかったけれど、

「鳥がこんなところに勝手に紛れ込むはずがない。犯人はテンコだ。でもテンコは野性を失っていないんだな。マンション暮らしでもテンコがもっと猫らしく生きられるように、考えなきゃね」と言って、わたしの頭をなでた。

小鳥は片づけられてしまったけれど、「猫らしく」ってはじめて言われた。でもね、言われなくても、わたしはいつでも猫ですよ。

文・堀 晶代
写真・堀 晶代/カズノリ

ほり・あきよ


フリーライター。物心ついた頃からたくさんの猫たちと育つ。大阪市立大学生活科学部卒。2002年よりワイン取材で日仏往復生活を送るなか、母の「フランスの猫の写真を見たい」という思いつきのような言葉から、猫や猫をとりまく人たちの撮影や取材を開始。自著に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。現在は夫、猫二匹と一緒に大阪暮らし。

-佐々木テンコ, 連載