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猫小説『佐々木テンコ』 第1章 「あつい あつい 夏の夜」

猫一匹拾っても、世界は変わらない。でもその猫と家族にとっての世界は、まったく違うものになる。

猫の名は「テンコ」。実話を元にした猫小説、猫びよりプラス新連載スタート!

暑い、とにかく、暑い。

いちばん暑いときって、見あげた空の色が黄色を通りこして、まっしろに見える。だからとにかく日陰をさがす。

日陰でずっとガマンしていたら、ようやくまっしろな空もすこしずつ青っぽく変わっていく。それを「夕方から夜へ」というのらしいのだけれど、そんなくり返しは、わたしがこの場所に来てからどれくらいあったのかなぁ。

ふぅ。

でも暑いってことだけは、いつもいっしょ。空の色がどれだけ変わっても、歩きはじめると足の裏はすぐに熱くなるし、ねっとりとした空気はとっても重い。

 

空がまっ暗な闇に見えることはない。だってわたしは猫だから。でも、なんとなく、夜の空を見ていると寂しくなる。

まずはヒンヤリとした場所をみつけなきゃ。じゃあ、どっちに行けばよいのやら。まったくまったくわからない。

 

なんの困ることもないお部屋にいさせてくれたのはヒトだけれど、この場所にわたしや兄弟たちをほうり出したのもおなじヒト。

ヒトってなんなのかな。

 

わたしが隠れている場所のすぐちかくには、たくさんのヒトがそこを通らなければならない「駅」というものがある。

朝はやくから駅へつづく一本道を突進していくヒトたちは、どう見ても、「いそいでいるヒトたち」。

暑いといってもちょっとだけ涼しいのが「朝」だから、わたしがすこし勇気を出して、細い通りに姿を現してみても、誰もわたしを見ようともしない。というか、見る余裕もなさそう。

それが変わってくるのが、夕方あたりから。そのころにはありとあらゆるところから、プ~ンと美味しそうな匂いがただよってくる。駅からはき出されてくるヒトたちも、「突進!」って感じじゃない。

夕方になるすこしまえ、朝とはちがう感じのヒトたちであふれるよりも先に、ひとりの優しい女のヒトが現れて、めだたない場所でわたしにゴハンをあげようとしてくれる。でもそのヒトを待っている猫たちはほかにたくさんいるから、けっきょく、いつも食いっぱぐれる。

 

朝と夕方で見るヒトたちは、まったくちがうヒトたちなのかな。それとも朝に突進していたヒトたちは、夕方になるとちがうヒトたちになってしまうのかな。

青っぽい空の下では、よく「猫ちゃん」と声をかけられる。

かわいい 猫ちゃん
りっぱな 猫ちゃん
おおきな 猫ちゃん

 

この場所にいればいるほど、もしかしたら酷い目にあうのかも? という、いままで感じたことがない不安はどんどんと増えていくし、それよりもまえに、暑いだけじゃなくって、お腹も空いているのか空いていないのか、わからないくらいに、空いているし。のどもカラカラ。

だから夕方から声をかけてくれるゆるい感じのヒトたちに、なんとなく期待してしまう。でもわたしがいま一番ほしいもの、ゴハンとか水とかは、誰もくれない。

声をかけてくれるだけの、ゆるくて陽気なヒトたちを「ヨッパライ」というのだとか。わたしをなでようとするヨッパライもいるけれど、最後は「元気でね~」って、去ってしまう。

 

それからも、空の色が変わるのを、なんかい見たのかな。なんだか、もう、どうでもよくなってきた。

 

また夜。あいかわらず、暑い。とくにこの夜は暑い。

駅からはもう誰も、はき出されることがない、夜のなかでも、いちばん夜だというのに、すこしでも暑くない場所を、まだみつけられない。

ちいさな通りから手をつないだ男のヒトと女のヒトが、こちらに向かってきた。手をつないでいるからこそ、どっちかが転ばないでいられるような、でもいちおうまえには歩いている。このヨロヨロとしながらも楽しそうな感じ。もう、これはどう見てもヨッパライだ。

とくにヨロヨロしている女のヒトが「あ、猫!」と言った。

ききなれた言葉。ヨッパライはだいだい「猫ちゃん!」って言ってから近づいてくる。

でもその「あ、猫!」って言いかたが、まるで見知っている猫にまた会ったかのような、それとも、わたしのことをよく知っているの? と思うくらいに、なれなれしい。

なれなれしすぎて、いつもだったらヒトが近づいてくると、ちょっとは離れてみるのだけれど、そんな気がうせた。

 

目のまえに、その女のヒトがいる。

女のヒトはわたしをじいっと見おろしてから、男のヒトに、

「う~ん、ラン。いますぐ、駅前のコンビニで、なんでもいいから猫缶ひとつ、買ってきて」と言った。

ランと呼ばれたヒトは、さっきまでのヨロヨロとした足取りがウソみたいに、どこかへ走っていった。きゅうに手をはなされた女のヒトは、かがむようにすこし前のめりになった。

あっという間に戻ってきたランは、猫缶をひとつ、手にしていた。

女のヒトは、猫缶を受けとってパシッとふたを開けるやいなや、ビックリするような乱暴さで、ガンっ! と地面に猫缶のなかみをぶちまけた。

「ちょ、ちょっと、待てよ、プ。ここは駐輪所だよ。いくらなんでも、それは不潔だよ」

プと呼ばれたヒトは、

「猫缶にこの子が顔を突っ込んだら、顔を缶のふちで切ってしまうかもしれないでしょ。それに缶を残して帰ったら、無責任なエサやりって言われて、ここらへんにいる他のノラたちが、よけいに住みにくくなる。食べなかったら、ティッシュできれいに拭きとって、缶を撤収して帰る」

あれほど待ちこがれたゴハンなのに、お腹が空きすぎて、うまく食べられない。食べかたを忘れたのかな? って思うくらいに、うまく食べられない。

プがグラグラしながら、どうにかしゃがみこんで、わたしを見ている。

「この子、蚤だらけだよ」

 

やっとぜんぶを食べおわると、不思議なことに、もっとお腹が空いてきた。プが言った。

「ラン、猫缶、もう一個、お願い」

ランがまた、どこかに走っていって、猫缶を手に戻ってきた。プはさっきよりはすこし丁寧に、猫缶のなかみを地面においた。やっぱりゆっくりとしか食べられなかったけれど、今度はちゃんと、うまく食べることができた。

しゃがみこんでいるプが話している。

「こんな時間に逃げないような猫が、お腹を空かしていて、蚤だらけって、ふつうだったらヘンだよ」

ふたつめを食べおわって見あげると、ランとプの顔が、空よりもとんでもなく近くにあっって、うん、うんとうなずきあっている。

 

プが、

「うちの子になる?」と言って、わたしをヒョイと抱き上げた。でもヨッパライだから、プは抱き上げた瞬間に、うしろに大きくゆれた。

「プ。ここから家まで、ゆっくりと歩いても、10分はかかるよ。その間に、この時間でも大きなトラックとかが通る道路が、二つもある。この子が車に驚いて逃げだそうとしたら、プはそんなおぼつかない足取りで、この子を守れるの?」

プは一言、

「ダイジョーブ」

「大丈夫じゃないから、言っているんだよ?」

「ダイジョーブ。知っているでしょ? 私の実家は、物心がついたときにはすでに猫屋敷って呼ばれるくらいに、猫だらけだったの。だから、どんな猫でも抱っこするのは上手いほう」

ランがつかの間、プの腕のなかにいるわたしと、プを交互に見つめた。

「分かった。プが大丈夫というのなら、この子に車やいろいろな怖さを感じさせないように、俺がここからの10分と少しは、なにがなんでも、あなたたちの前に立って、身を張る。プはこの子を不安にさせない抱っこだけに集中して」

わたしがこの場所からどこに行ったらよいのかが、わからなかった不安のひとつは、ランがいうおおきな車や音や道路というもの。歩いてみたり、横切ったりが、できそうにない場所。

それらをいまから一気に乗りこえて、まったく知らない場所に行くだなんて。

 

でもなんだか、やっぱり、もう、どうでもよい。

この腕のなかから逃げたって、その先、なにかがおおきく変わるような気がしない。

 

ひとつめの、「あそこは通ってはならない」と決めていた場所。

ランは「道路が静かになるまで、待とう」って言ったけれど、わたしは猫だから。ヒトよりもいろいろな音が聞こえてしまって、ランが「もう、とうぶん、次の車は来ない」って言っても、わたしには、もっと先の、つぎの車の音が聞こえてくる。やっぱり逃げたほうがよいのかな? 足にすこし力をいれると、

「ラン、この子、怖がり始めた!」

 

ヨッパライが歌ったり、ヘンな声を突然に出すのは知っている。

「落ち着いて!」ってランがふり向いて、わたしがもっと足に力をいれたとき、プはいままでのヨッパライからは聴いたこともない、とんでもなく素っ頓狂な声を出した。

 

あつい あつい 夏の夜
おなか ぺこぺこ
のみ ぴんぴん
のども ホントにカラカラだ
あつい あつい 夏の夜
それも あとすこしで おわります
すずしくって おなかも ぱんぱん
お水も たくさん ありますよ
あと もう すこし ガマンしてくださいな

 

これって、歌?逃げようとして最後にこめた力がしゅぅっと抜けた。

ほんとうに、ほんとうに、もう、ほんとうに、どうなってもいいや。

 

それからもゆらゆらとしたプの腕のなかにいたら、まえにいるランが「ここが、最後の難所!」とぐぅっと背中をおおきくした。

ずっとずっと、すぐそばから、いろいろな車の音が、あおってくるように絶え間なく聞こえてくる。

 

抱かれるまま、ひとつの建物のまえに着いて、そのなかのエレベーターというちいさな箱にはいった。上へあがっていく。エレベーターがひらいて、

「長かったね~」と言いながら、プがわたしを下ろした場所からは、さっきまで怖かった車や道路がはるか下に見えた。

「この階には俺たちしか住んでいないから。まずは落ち着いて。入りたくなったらお家に、お入り」とランがドアをあけた。迷うよりも、ドアのむこうから流れてくるヒンヤリとした空気につられて、ふらりとなかに入ってしまった。

うしろでドアがパタンと閉まる音がして、でプが叫んだ。

「わ~っ! 玄関に猫がいる! ちょっと待って、ちょっと待って!猫がいるよ!猫がいるだけで、玄関の雰囲気がぜんぜん違うよ!?」

 

もしかしたら、このヒトたちは、いままで見た誰よりもとんでもなくヨッパライ?

わたしを抱いて帰ったから、いま、わたしはここにいるんでしょ。

わかっているのかな?

 

でもランもプも、「猫がいる! 猫がいる!」って、いままで見たどんなヒトよりも、とんでもなく、はしゃいでいる。

なんども、なんどもなんども、「猫がいる! 猫がいる!」とはしゃいでいる。

文・堀 晶代
写真・堀 晶代/カズノリ

ほり・あきよ


フリーライター。物心ついた頃からたくさんの猫たちと育つ。大阪市立大学生活科学部卒。2002年よりワイン取材で日仏往復生活を送るなか、母の「フランスの猫の写真を見たい」という思いつきのような言葉から、猫や猫をとりまく人たちの撮影や取材を開始。自著に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。現在は夫、猫二匹と一緒に大阪暮らし。

-佐々木テンコ, 連載

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