猫小説『佐々木テンコ』第6章「戻れたね」其の一

猫一匹拾っても、世界は変わらない。でもその猫と家族にとっての世界は、まったく違うものになる。

実話を元にした猫小説、連載第9回。仕事先のフランスで病に倒れた「プ」の元へ駆け付けた夫の「ラン」。ペットホテルで待つ「わたし」に事態は把握できない。それでも強く思った。「なにがあっても戻ってきなさい!」

この家には、キチンとしたお祝いごとや行事というものが、みごとにない。それでもお祝いしたいことはあるみたい。

ランの誕生日
プの誕生日
わたしが来た記念日
ボンビが来た記念日
年越し

プはたまに

「子供がいたら、きちんと行事はやっていたのだろうな」と言うけれど、ちょっとちがうと思う。

だいたいプは、まったくがまんづよくない。猫じゃらしもそうだけれど、隠すのもヘタ。

だからランの誕生日や、わたしやボンビの記念日にも、いろいろ用意しているみたいなのだけれど、その日まで待とうとがんばりながらも、マジメに隠しているのか、わざと見えるように隠しているのか。

新しい猫じゃらしが好きなボンビへは、わざわざ「ここに置いとくね」と声をかけたりする。

そしてランの誕生日になにかを用意すると、そのときから、もう早く渡したくて渡したくてしかたがないようで、いちおうは隠してはいるものの、猫が見てもいつもよりソワソワしているのがわかるのだから、ランにはすぐバレる。

でもバレたときのプは、なんとなくうれしそう。

「すこし早いけれど、これ、誕生日プレゼント」

「すこし早いって、俺の誕生日はまだ二ヶ月も先だよ」

「でもプレゼントって、急に探そうとしても、なかなかピンとくるものがなかったりするから。今日、たまたま見つけちゃった」

「そうだね、ステキなものは一日でも長く使えたら嬉しいから。ありがとう」

そんなランも、あんがいプの誕生日はキチンと日を守っていないよう。やっぱり、

「これ、プレゼント。開けるのは誕生日まで待たなくてもいいよ」と言う。

わたしとボンビの記念日も、おなじ感じ。「美味しそうなのを見つけた」とか、「楽しそうなのを見つけた」で、「見つけた日」が記念日になっていて、わたしとボンビの記念日は

ランとプの誕生日より、ずっと多いような気がする。

そんなランとプでも、ひとつだけ動かせない日が年越し。これだけは早めにお祝いしても、楽しくないみたい。

 

ただこの冬は、その年越しもシンとしていた。ランは、

「今夜はちょっと、いつもより良いワインでも開けようかな」とひとりで言って、

「でもこれを一人で飲んだってプが知ったら、悔しがるだろうな」とまたひとりで言って、いつも年越しは真夜中をすぎても起きているランは、けっきょく真夜中を待たずに眠ってしまった。

シンとした年越しから、何日かたった頃。ランが朝早くから、「空港に行ってくる」と、出かけていった。

その日はとても空がきれいで、わたしとボンビは出窓の日だまりでずいぶんとウトウトしていたら、玄関のドアからガチャガチャと音がした。そしてこの家でひさしぶりにランじゃないヒトの声がする。

プ?

プは出稼ぎから戻ってくるとき、かならず最初に「テンコ~、ボンビ~」と歌うように高い声で呼ぶのだけれど、今日は静かだ。でも玄関に行ったら、やっぱりプだった。そしていつもだったら「テンコ、テンコ、テンコ~」と抱きついてくるのに、目があった瞬間にしみじみと、

「テンコ、ランから祈ってくれたって聞いたよ。ほんとうにありがとう」と言いながら、そうっと、そうっとわたしの頭をなでた。

ボンビもおずおずと玄関に来た。するとプはまたしみじみと、

「ボンビ、長い間、ごめんね」と言ったけれど、ボンビの頭の上には「?」マークが浮かんでいる。ランが玄関に運びこむスーツケースやらを見ながらも、やっぱりボンビは不思議そう。

「しかたないね。こんなに長く家を空けたのは初めてだから。でも昔は『誰?』って顔して、なかなか近寄ってこないこともあったから、玄関まで来てくれただけでじゅうぶん」

「そのうち、ボンビも思い出すよ」

プは大人しい。でも、ふつうに元気そう。猫じゃらしを持って走りまわるプを知っているから、すこし「あれ?」と思うけれど、だいたい出稼ぎから戻ったプはいつも疲れて見える。

ただプがそこにいるんだなぁってことだけが、ちょっとずつ、じんわりと伝わってきた。

いつもどおりプは夕方までコトンと寝て、ランもよほどホッとしたのか、コトンと寝た。

起きたプがスーツケースやらのなかみを片づけていると、ボンビがスーツケースに入って、毛づくろいをしてから、なかでグゥグゥと眠った。いつもだったらプは、

「もう、ボンビ! 荷解きできないよ。服に毛がついちゃうよ」と笑って、ボンビをカシャカシャとスマホで撮ってから、すぐに追い出そうとするけれど、スーツケースの横でじぃっと穏やかな顔で、ボンビに見入っていた。

「ボンビ。少しずつ思い出しているの? ありがとう」

まったく、追い出そうともせず。

 

つぎの日、ランは朝から出かけていった。プはパソコンをパカッと開けて、「ふぅ」とため息をついてから、ゆっくりとパチパチし始めた。すこしパチパチしては「ふぅ」と手を止めて、またパチパチしては「ふぅ。どこから手を付けたらよいのやら」

そんなプを見ているわたしに気づくと、

「いきなりは難しいね。できることからひとつずつだね。テンコとボンビにできることも、また少しずつ増やせていけたらいいね」
にっこり笑った。

 

ボンビがハタと「いつも」を思い出したのか、パソコンに向かうプの足もとに、たくさんの猫じゃらしをせっせと運びはじめた。

ボンビは遊びたいとき、猫じゃらしをひとつ運んでは「ニャホ」、ふたつ運んでは「ニャホ」と鳴く。プが無視すればするほど、プの足もとには猫じゃらしが増える。

「遊ぼうか、ボンビ」

そしてプはボンビが運んできた猫じゃらしではなく、ここのところ開けていない段ボール箱に片づけているほかの猫じゃらしを取りだした。

「ボンビのお気に入りは、これでしょ?」

ボンビがベッドに飛びのって、プが宙で猫じゃらしをくるくる回すと、ボンビの黒目はぎゅるぎゅると大きくなって、お尻をふりふりする。

するとプは、猫じゃらしをひょいっと上から下へ、右から左へ、ときにゆっくりと、ときにとても早く動かす。

ボンビは待ちぶせということをまったくしないから、いちいち跳んで、走って、そしていきなりすごい勢いでベッドの下にもぐり込んだかと思うと、すぐにベッドの下から飛び出して、廊下をめがけて走りぬけていく。

このときのボンビのシッポのつけ根はぽんぽんに膨らんでいる。

「興奮しているね」。

楽しそうにプはボンビを追いかけて、こんどはプが走って戻ってくると、そのうしろから耳をふせたボンビが、さっきよりも勢いよくベッドに飛びのる。

そのくり返し。でもボンビはついさっきまで遊んでいたことを、きれいさっぱり忘れてしまったかのように、プがふる猫じゃらしへ、きゅうに見向きもしなくなる。

ベッドの上でお腹をおおきく上下させながらふうふういったあと、ふいとどこかに行ってしまう。走りまわるプも、ボンビの遊びかたも、変わっていないと安心していたら。

プは、すぐにベッドの布団のなかに入ってしまった。

やっぱりプは、いつもより疲れているのかもしれないな。

でもプの足が布団の下でヘンな動きをしている。

そしてときどき、足の指を出して見せては、指でもヘンな動きをして、しばらくするとズズッと布団の下に引っ込める。おなじことを何度もくり返すプを見て、はっと気づいた。わたしと遊ぼうとしている!?

ボンビが来てから、わたしは遊ばなくなった。じっくりと待ちぶせて一気にしとめるのが、わたしの好きな遊びかたなのだけれど、ボンビはわたしが待ちぶせを始めたときには、もう猫じゃらしへまっしぐらだから、わたしにとっての遊びはそこで終わり。

「きっとテンコの祖先は雪山とかで暮らすこともあったから、雪の下の獲物を狩るのは上手だよ」

ボンビが来るよりもだいぶまえ、プがランにそう話して、布団の下から猫じゃらしや足を出したり引っ込めたりしながら、わたしが飛びかかるのを待っていた。

でもボンビが来てからはなぜかしてくれない。

「この子たちに夢中になっていたら、一日中、遊んでしまうばかりになっちゃう」かららしい。

それでも思い出してくれたのかな。

まぁ、あきっぽいプのことだから、いつまでこのヘンな動きを続けられるのやら。

プの気が変わらないくらいで、すこしだけ焦らしてから、前足でプの足を押さえてガブッとやってみたら、プは「いたっ!」と足を引っ込めた。

それでもこりずにまたヘンな動きをくり返すから、なんかい目かに、前足でつかまえた足をペロッとなめたら、

「くすぐったいよぅ」とコロコロ笑った。うん、やっと、プがこの家にいることが、思いっきり信じられる。

 

文・堀 晶代
写真・堀 晶代/カズノリ

ほり・あきよ


フリーライター。物心ついた頃からたくさんの猫たちと育つ。大阪市立大学生活科学部卒。2002年よりワイン取材で日仏往復生活を送るなか、母の「フランスの猫の写真を見たい」という思いつきのような言葉から、猫や猫をとりまく人たちの撮影や取材を開始。自著に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。現在は夫、猫二匹と一緒に大阪暮らし。

-佐々木テンコ, 連載

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