伝統や文化と、動物愛護の埋まらない溝 其の二

写真・文堀晶代

猫だけではなく、不当な扱いを受けた家畜の保護組織でもある「Féline Love」。敷地内では猫やニワトリが自由に過ごす(写真提供・Féline Love)

本誌124号より、フランスで昨年11月に可決された動物の取り扱いに関する法律の改正案を取りあげている。前号では、動物愛護の観点から見た「伝統と文化」との矛盾に触れた。

筆者がはじめてフランスの猫と犬の保護団体への取材を申し込んだのは、2004年。先方の対応はけんもほろろだった。「猫や犬を食べている日本人が、保護を語ろうとするなんて、ちゃんちゃらおかしい」という、まったくの誤解からだ。

フランスを含む欧米において、「猫や犬と暮らすなら買うのではなく、行き場のない子たちの里親になろう」という考えは、日本より早い時期からある。だが当時は在仏日本人の少なからぬ里親申し込みが、「日本人だから」という理由だけで却下された。文化の中で、誤解を解くことも、理解することも、「食」がもっとも難しいと感じている。

今回の法改正に至るよりも4ヶ月前、フランスは卵を産まないオスのひよこの殺処分の禁止も発表している。禁止令に伴い、農家へは卵が羽化する数週間前から性別を判定する機械の提供が進んでいる。またEU全域で、家畜のケージ飼育を段階的に廃止することも検討中だ。

しかしフランスが誇るガストロノミー(美食)文化となると、「伝統」という解釈が加わる。たとえば世界三大珍味であるフォアグラ。カモやガチョウに強制的に給餌し、脂肪肝にさせる。すでにアメリカのいくつかの自治体は輸入・販売・提供を禁止しているが、フランス人にとってフォアグラは、クリスマスなどを彩る幸せな団欒を象徴する食材で譲りがたい。ほかにもガストロノミーのテーブルを支える手法には、知ってしまうと食べ辛いものがある。

また法改正で狩猟を規制しなかったことへも、愛護団体は反発している。「ジビエ王国」であるフランスでは、狩猟は伝統的な行事だ。ハンターの数は欧州でもっとも多い。いっぽうで発砲事故も多発。今年2月には、17歳の少女が発砲した流れ弾が(少女は16歳で狩猟免許を所得)、ハイキング中の女性に当たり亡くなった。安全性という意味でも、狩猟を見直す声は高まっている。

先に述べたように、欧米人にとって「猫や犬を食べる民族」は、日本人が想像するよりもはるかに蔑まれる。だがとくに経済的に苦しい国では、猫や犬の置かれる立場は一様ではない。前号でも意見を伺った「Féline Love(猫へ恋に落ちて)」代表のナタリー・エルナンデさんは言う。

「もしフランスが文明の発達した国だと言い張るのなら、他国の事情を軽んじず、かつ自国のガストロノミーにおいても、少しでも動物へ苦痛を与えない方法を選ぶ賢明さを持つべきです」

法改正が動物へ歩み寄ったのは確かだろう。しかし伝統に偏りすぎると、動物との共存の未来、ひいては新しい文化は生まれない。

モロッコの内陸都市フェズにて。「無責任なエサやり」という考えはない。バクシーシ(富める者が貧しい者に施す)の精神から、施される猫たちがそこら中にいる(2008年撮影)

マダガスカルのリゾートホテルでくつろぐ猫。だがペットと暮らす習慣が珍しいこの国では、猫はネズミ取りとして家にいることが多く、貧困な地区では食べられる危険もある(2007年撮影)

Hori Akiyo
日仏を往復するワイン・ライター。 著書に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。電子書籍『佐々木テンコは猫ですよ』がAmazonほかネット書店で好評発売中!

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