写真・文 堀晶代
本誌前号では、フランスで昨年11月に可決された動物の取り扱いに関する法律の改正案を取りあげた。日本でもとくに注目されたのは「2024年からペットショップで、猫や犬の展示販売を禁止する」という項目だ。
この法改正は猫や犬の展示販売だけではなく、すでに毛皮用のミンクの飼育を禁止しており、26年からはイルカやシャチのショー、28年からはサーカスで野生動物を利用することも禁止される。「動物は娯楽や贅沢のためにいるのではない」ということが、大まかな主旨だ。また動物への虐待や、ペットの遺棄に対する罰金刑や禁固刑も、より重くなった。
フランスにおける動物愛護の歴史は18世紀に遡る。大きな転換期となったのは、1970年代。自然保護に関する法律で、「あらゆる動物は人間にとっての財産ではなく、感覚する(感受性を持つ)存在である」と定義された。つまり「動物自身の幸福のために動物を守る」という考え方だ。2015年には民法でも、「動物は動産(モノ)ではなく、感覚する存在」とされている。
だが法に準じて飼育環境を改良してきたペットショップだけではなく、動物愛護団体も、今回の法改正に反論している。それはフランスが誇る「伝統や文化」への解釈だ。
伝統や文化のひとつに闘牛がある。南仏で今日でも行われる闘牛は、昔よりも残酷さを減らし、自治体によっては慎つつしむ傾向もあるが、「命を見世物として弱らせ、殺す」という本質は変わらない。観光資源として、過去10年以内で闘牛を始めた地域もある。
闘牛と対比されることとして、2014年にフランスを震撼させた事件がある。南仏マルセイユで青年が、自身で子猫を壁に投げつける動画をインターネットに上げたのだ。青年は1年の禁固刑となったが、虐待への厳罰化を望む世論が高まった。
動物愛護の観点からは、闘牛と青年に違いはない。命を死に至るまで軽んじ、なんらかの方法で見せ、それを「楽しむ」人がいることが、根本的な問題だ。
しかし今回の法改正でも、伝統や文化は矛盾をはらみながら、肯定された。
法の条項のひとつ。
―公共の場である・ないに関わらず、ペットや飼い慣らされた動物に対して虐待行為があれば、2年の禁固刑と3万ユーロ(約400万円の罰金)を処する。
だが併記されている条項は、
―限定された地域で継承されてきた闘牛や闘鶏は、虐待とはみなされない。
猫だけではなく、近年は不当な扱いを受けた家畜の保護組織でもある「Féline Love(猫へ恋に落ちて)」代表のナタリー・エルナンデさんは言う。
「伝統や文化という言葉で納得してしまうと、ますます矛盾に気づかなくなってしまいます。私はひとりのフランス人女性としての誇りを持っています。しかし時代にそぐわない伝統や文化がまかり通ることは、フランス人女性として恥を感じます」
法と正義が同じ方向を向いていないことは混乱を招く。それはガストロノミー(美食)文化にも言えることで、次号では食文化とその背景に触れたい。
Hori Akiyo
日仏を往復するワイン・ライター。著書に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。大阪でともに暮らす2匹の猫の年齢差は14歳。年齢にあったお世話に悩む日々。