田んぼに囲まれた丘の上にある美術館には、猫がいっぱい。通い猫である虎之介くんには、こんな思い出が……。
ボク、美術館の通い猫、虎之介。週末の美術館の開館日だけ、絵描きのママの車で出勤してるんだ。
10月のある土曜日、いつものように、お庭でカマキリをおちょくったり、マツボックリ集めをしたり、木登りしたりしてひとり遊びしていたら、キャリーケースを下げた人がやってくるのが見えたんだ。
美術館でいちばん古株のミー姐ねえさんとボクは、すぐに駆けつけた。だって、キャリーからは、知らない猫の匂いがしたんだもん。
やっぱり。中には、ボクの半分の半分くらいのチビがいた。そいつは、よその町の中学校の体育館わきに捨てられてたんだって。
捨てられて、拾われて、はるばる車で運ばれてきたから、どんよりして固まってた。ひとまず、「シャ〜〜(チビっこいの、ここはボクの縄張りだ)」って、カツを入れてやったさ。
だけど、キャリーから出されてぼんやりしてるチビを見てたら、思い出したんだ。もっとチビだった元ノラのボクがここに来た日のことを。
不安でたまらなかったボクに近づいてきたのは、元捨て猫のモミジロー兄ちゃんだった。「悪童」って呼ばれてたモミジロー兄ちゃんが、ボクの面倒をまるで母さん猫のように見始めたから、美術館の人たちはびっくりしてた。
絵描きのママのおうちの子になって、週末にやってくるボクを、モミジロー兄ちゃんはいつも玄関で待っていた……。
チビは、ボクの家から週末に美術館に通って、里親を探すことになった。
「やってきた時は、目ヤニだらけでひどいご面相だった虎之介でも、いいおうちが見つかったんですもの。この子なら、すぐにもらい手が見つかるわ」
館長さんは、そんな失礼なことを言ってた。
ひどいご面相、って、なんだよう。その晩、ボクはチビのそばで眠ってやった。モミジロー兄ちゃんがボクにしてくれたようにね。
次の日。美術館に着くなり、ボクはチビに言った。「ボクについてこい」いろんなことを教えてやらなきゃ。
チビは、ボクのあとをついて、大喜びで芝生の上を走り回ったよ。木登りも教えてやった。バッタも追いかけた。縁の下探検もした。いっしょに飛行機雲も眺めた。それはみんな、モミジロー兄ちゃんとやった楽しいことだった。
チビは、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、どこにでもついてきた。ボクたちは、おうちでも美術館でも転げ回って遊び、遊び疲れると重なって眠った。
チビがやってきてちょうど2週間たった日曜日。またキャリーを下げた家族が美術館にやってきた。今度は、キャリーは空だった。
東京からやってきたやさしそうな一家は、前の日にも美術館に来てて、チビのことがとっても気に入ってたんだ。チビは、この2週間でふっくらして、誰からも「まあ、なんてかわいい」って言われる猫になっていたから。
チビはキャリーに入れられて、きょとんとしていた。
館長さんは、しゃがみこんで、ボクの目をじっと見つめた。そして、ひとことひとこと言い聞かせるように、ゆっくりと言ったんだ。
「虎之介。2週間チビの面倒を見てくれて、遊んでくれて、本当にありがとうね。とってもいいお兄ちゃんだったね。チビは、おうちが見つかって、そこでかわいがられてしあわせになるんだよ。お別れをしようね」
ボクは、とっさにママの顔を見た。ママは何かを必死にこらえてる顔をしてた。
うん、わかった。ボクはもう7か月のお兄ちゃんだい。めそめそなんてしない。だから、キャリーの中でちょこんと座ってるチビに、そっと「さよなら」って言った。
この夏、美術館に行ってもモミジロー兄ちゃんが迎えてくれなくて、何週間も泣きながら探し回るボクを見て、館長さんたちは涙ぐんでた。だから、館長さんは、ボクが納得するよう、ちゃんとチビとのお別れをさせたんだ。
チビの匂いだけが残った。チビがいなくなった庭を、ボクはむちゃくちゃに走り回り、カラスに追いかけられた。
そのあと、長いこと、モグラの巣穴掘りに熱中した。みんなが呆れ返るほど深く、肩まで入るほど深く。
いつもボクたちの写真を撮りにくる人が、鼻先が土だらけのボクを見て言ったよ。
「さびしくなったね、虎之介。あれ、なんだかおとなっぽい顔になってる。モミジローくんに似て、やさしくていいオトコ。みんな、虎之介のことが大好きだよ」
チビは、「茶太郎」って名前になって、おじいちゃんとおばあちゃんとパパとママと3人の子どもたちみんなにかわいがられて、やんちゃしてるって、ママが言ってた。
東京っ子になったチビは、ボクといっしょに丘の上を走り回った2週間を、ふっと思い出すことがあるかなあ。そうだ、モグラの穴掘りをあいつに教えてやるのを忘れてた。
しあわせに元気で暮らせよ。2週間の、ボクのおとうと。
※このエピソードは、本が発行された2018年当時のものです
写真と文:佐竹茉莉子