猫一匹拾っても、世界は変わらない。でもその猫と家族にとっての世界は、まったく違うものになる。実話を元にした猫小説、連載第3回。街をさまよっていた猫を招き入れた夫婦は、「この猫がどこから来たのか」謎を解くことに…。
― まだ24時間も経っていないのに
とかなんとか、優しげなことを言っていたランが、
「お風呂、用意できたよ~。手伝って」と向こうのほうで声を上げている。またプに、ひょいと抱き上げられてしまった。
「この子、体が大きいというか、シッポが大きいから、犬用のお風呂を買って正解だった」と話すランに、ぬる目のお湯をジョロジョロかけられた。プは
「熱くない? 冷たくない? シャンプーをさせてくれる?」と聞いてくれるけれど、ガビガビに固まった毛や、脂っぽくなったシッポの付け根が、ほどけていくのは気もちよい。
プがまた、いちいちおどろく。
「この子、水が怖くないのかしら。実家の猫たちをシャンプーしていたら、その鳴き声が悲しげすぎて、近所からイジメの疑いをかけられたこともあったのよ。おとなしすぎて、逆に心配」お風呂から出された。プルプルってからだをふるわすと、
きゃ~、プルプルしてる!
ランとプがはしゃぐ。
まえの夜もそうだったけれど、ヒトって、こんなにはしゃぐものだったっけ?
フンワリとした毛並みに戻ったわたしに、プが見とれている。
「わぁ、さっきよりもずっと美人さんになったね、この子」
そしてまたカメラを手にしようとしたプに、ランが呼びかけた。
「来ているよ、西岡さんから、メール」
「開いといて。見に行くから」
プがカメラを置いて、パソコンへ向かった。
佐々木さま
お久しぶりです。西岡です。
ようこそ、猫の世界へ(笑)。
でもその子はソマリじゃないよ。
どうもメインクーンっぽい。
一度、メインクーンで、検索してみてください。
西岡拝
「はぁ、なに、これ? メ、メ、メイクイーンって、ジャガイモ!?」
「西岡さんは、メインクーンって、書いているよ」
「猫なの?」
「どうも、そういう猫がいるらしい」と、ランはまたパソコンをパチパチし始めて、しばらくすると、う~ん、合いすぎる……とうなった。
「なにが、どう、合いすぎるの?」とせかすプに、ランは、
「今から、要約して読むよ。ウィキペディアから特徴的なところをね」と、ゆっくりと話しはじめた。
― メインクーンは、イエネコの中でも大きな品種で、「穏やかな巨人」という身体的な特徴と、賢さと遊び好きなことでも知られている長毛種。
「たしかに穏やかな長毛種だね。遊ぶのは好きなのかな?」
― 身体の模様や習性がアライグマと似ている。
「アライグマは知らないけれど、タヌキっぽい。とくにフサフサとしたシッポ」
― その知能と優しい性格。
「うん、そんな目をしている」
― メインクーンの耳は大きく、根元が幅広、頭の高い位置にある。中に房毛が豊富に付き、耳先にはリンクスティップスと呼ばれる飾り毛がある。その特徴的なリンクスティップスに
よって、オオヤマネコのような風貌を得ている。
「まんまじゃない!」
― 毛はミディアムロングで密集しており、胸元にはライオンのたてがみに似たひだ襟のような長い飾り毛がある。被毛は、一般的にとても柔らかい。パンタロンやズボンなどと呼ばれる足の後ろ側にある長い毛と、指の間にある長い毛のおかげで、寒さの中でも体温を保つことが出来る。尻尾がとても立派にふさふさとしているため、「尻尾にくっついている猫」という異名すら得ている。
「ますます、そのまんま!」
― 水の中に入ってというわけではないが、水で遊ぶことを好むメインクーンもいる。
「決定的すぎる! さっきも言ったけれど、シャンプーされながらウンともスンとも云わない猫って、私、見たこともないし」
それからもランとプは、パソコンを眺め、わたしをふり返っては「やっぱり」「似ている」とくり返していたけれど、プが「そうだ! 私、ちょっと出かけてくる」と慌ただしくどこかへ行った。
ランは食い入るようにパソコンを見ながら、パチパチを止めずに、「もしかして?」とひとりで言って、あとは一気にパチパチの音が速くなった。「ということは?」と言ってからは、ますますパチパチの音が速くなった。
プが帰ってきた。その目がきらきらとしている。
「ねぇ、ラン。なんで私が出かけたのか、知っている? 私、この時間帯にね、駅近くのうどん屋さんで、ノラにゴハンをあげている女の人を何度も見かけたことがあるの。今日もいた。ドンピシャよ!」
勢いのまま話そうとするプを、ランが制した。
「プが、聞き込み上手なのは知っているよ。だから俺は俺で調べてみた。『メインクーン』『大阪』『JR天福駅』で検索したら、こんな書き込みが出てきたんだ」
ランがプを、ランのパソコンのまえに座らせた。
「要するに。七月の下旬から、あの界隈では見たこともないタヌキのような猫が、まるで降って湧いたかのように、少なくとも四匹、現れた。そのうち二匹は誰かが拾って、T動物病院に連れて行った。次の二匹は、林さんって人が拾って、D動物病院に連れて行った」
「なんで、林さんって分かるの?」
「あとで話すよ。とにかく林さんは困っているから。林さんはすでに二匹の猫を飼っていたのだけれど、まずは一匹目を拾った。やれやれと思っていたら、一週間後に同じような猫を見つけて、また拾ってしまった」
「ふんふん」
「でもこれ以上、同じような猫を見かけても、自宅はキャパオーバーみたいで、もう怖くて天福駅の周辺を歩けない。そこで情報を探すために、以前に通っていたT動物病院にも連絡を取ったらしい」
「むぅ」
プがあごをさすった。
「するとT動物病院とD動物病院の疑問が見事に一致した。なぜ、こんなにも同年齢っぽく身体的な特徴が似た猫たちが、日を開けずにつぎつぎと運び込まれるのだろう? と。しかもどの猫も天福駅の周辺にいたという」
「じゃぁ……」
「もう、話は見えてきただろ。林さんは降って湧いたように現れた猫たちを、一匹でも多く助けたいから、ネット掲示板に自分の連絡先も載せて、書き込みをしたんだ。さっきメールを送ったら、すぐに返信があった。ガセじゃない」
プが、ハッとした。
「じゃ、五匹目が、この子ってこと?」
「たぶん。そして林さんが二匹目を拾ったのが、八月七日の夕方」
「えっ! この子を連れて帰ったのは、八月八日未明の深夜二時すぎ」
「だからプが飲みに行く前に見た子って、林さんが連れて帰った子っていう可能性もある」
プが自慢げに鼻の穴をふくらませた。
「合っているわ、それ」
「プの話は?」
「ゴハンをあげている女の人は、宮本さんっていうの。宮本さんもね、たぶん林さんが連れて帰った子と、この子を少なくとも二週間前から見ている。駅の真ん前でのゴハンやりは人目に付くから、駅前の一本道を曲がってからちょっと先にある、あのうどん屋さんの裏手で、毎日ノラにゴハンをあげているんだって。うどん屋さんのおじいさんも猫が好きだから、とくに文句も言われないらしい」
「あのうどん屋、俺の子供の時からあるよ」
「この子たちの見た目ってそれでなくとも目立つし、それにいきなり現れたから驚いたって言っていた」
「たしかに、目立つ」
「それで二匹ともね、うどん屋までは付いてくるのだけれど、たぶんこの子の方がほかのノラの勢いに気後れするのか、いつもフェンスの裏側に回ってしまって、そこから手を伸ばす。フェンスに押しつけた黒い肉球が、ふさふさした毛に覆われているのを見て、なにか特別な猫種かも? って、ますます不思議に感じたらしい」
「日本の夏には向かない、暑苦しい肉球まわりの毛だよね」
「で、結局、駐輪所あたりに戻ってしまう。駐輪所を出たすぐ横に、公共の大きなゴミ箱があるでしょ。よくあのゴミ箱を悲しそうに見上げていたみたいなの。でも突然に現れた猫が、忽然と姿を消して、今日はとても心配していたよ」
ランが、くんでいた腕をゆるめた。
「ということは」
「そう、『あなたが連れて帰ったのですか。安心しました』って言ってくれた」
「推測するに。たぶん不認可のブリーダーさんが、売り手が見つからなくって、まとめて捨てたというあたりか」
ランとプが私をじっと見た。
さっきよりも、なんかいも、なんかいも。
とつぜん、プがパチパチと手をたたいた。
「そんな辛い目にあった不幸な子なら、堂々とうちの子にしちゃえばいい!」
そう言ってから座りこんで、わたしの両の前足を持った。ひょいひょいと右に、左に、動かしながら、
「テンコ。佐々木テンコ!」と、いっそう目をきらきらさせた。
「凝った名前つけたら情が移っちゃうから、適当な名前にしたけれど。テンコって呼んでいい? 名字は佐々木だよ」
ランも座りこんで、プが持っていた片方の前足を自分の手にうつして、ひょいひょいした。
そしてランとプが、空いたほうのお互いの手をつないだ。
へんな円になりながら、テンコ、テンコ、と呼ばれていたら、また、どうでもよくなってきた。
でも、よい感じの、どうでもよい。
たぶん、どうにかなるんだ。
文・堀 晶代
写真・堀 晶代/カズノリ
ほり・あきよ
フリーライター。物心ついた頃からたくさんの猫たちと育つ。大阪市立大学生活科学部卒。2002年よりワイン取材で日仏往復生活を送るなか、母の「フランスの猫の写真を見たい」という思いつきのような言葉から、猫や猫をとりまく人たちの撮影や取材を開始。自著に『リアルワインガイド ブルゴーニュ』(集英社インターナショナル)。現在は夫、猫二匹と一緒に大阪暮らし。