ネコは身近な動物で、ヒトの社会の中で暮らしています。そのため野生動物とは異なり周囲の環境も含め、ヒトがいてネコは生きていけると思うのです。ヒトとヒトの間に繋がるいのち。今を生きる友達として向き合いながら、街の中にネコのいる風景が時代は変わってもあり続けてほしいと願うばかりです。
写真・文 平井佑之介
5年ほど前だろうか。小さな体でひょこひょこと歩く、一際目立つ白黒のネコを見かけた。当時は実家のイヌと散歩中で、遠くから離れて見る程度だった。
しばらくしたある日、遠くの誰かを呼ぶような大きさで「よつこ、よつこ!」と声がした。
するとあの白黒ネコが茂みからひょひょこと足早に歩いてきた。ネコは名前を呼んだヒトのそばまで来ると、見めるようにじっとしていた。
器にドライフードと缶詰をもらって、夢中で頬張る。尋ねてみると、避妊手術をして何年も毎日欠かさずに会いに来ていることを知った。ヒトの優しさが1匹の命を支えている。
その光景が私の気持ちも優しくしてくれた。
生まれつき左目が見えない。左側を子どもたちに預けるようにしていた
〝よつこ〟の小さな体からすれば、ヒトはとても大きないきものだろう。ところが近くを通るヒトの姿に、顔を強張
らせる様子はなく穏やかだった。
街の雰囲気をネコが教えてくれるように感じた。
イヌの散歩で通りがかりに、ご夫婦でウォーキングする最中に、みんなが〝よつこ〟の元気な姿を見て、怖がらないようにそっと話しかける。
心落ち着く時間を待ち焦がれていたのかな?
学校帰りの小学生が〝よつこ〟のそばに来る。
「触れるの?」と私は思わず声をかけた。
「うん! ネコが好きだから」。
そう言って優しく耳の裏あたりを撫でていた。子どもたちが命に触れることの大切さを1匹のネコが伝えてくれているようだった。子どもたちが大人になって、今日の瞬間を思い出してくれることを願いたい。
その時を生きるネコにとって、小さな優しさがまたひとつ生まれると思えたから。〝よつこ〟は今日も、名前が呼ばれるのを待っていた。
撫でてもらうことが本当に好きと伝わるほど、喉鳴りが聞こえてくる。「暖かい季節がやってきたね」と、取り出したブラシで梳いてもらう。お手入れが終わると、別のネコになったようにすっとした体で、時折振り返りながら帰って行った
ベンチ
寒暖差の続く4月の朝。2匹のネコが包まれるように抱かれていた。優しいヒトにくっついてお互いに温かそうだ。
怖がらないように1番良い距離でいられたらいい
おじいちゃんが「またね」と声をかけて、そっとベンチにネコたちを降ろす。
優しいヒトが帰ったあとに、2匹は遊びだした。次第にエスカレートして白黒のネコが優勢になる。勝者は満足げにベンチから飛び降りて、残されたネコは仰向けで固まる。
1分ほど起き上がらずに、擬人化するならば「やられたあ」と全身で表現しているようだ。
うたた寝してしまうような陽だまりには柔らかな時間が流れる
ネコの写真を撮り始める以前、私も膝にネコを乗せて何時間も過ごした記憶がある。
耳や指先が痛くなる冬のある日に、ふと腰かけたベンチを目指してネコが歩いてくる。当たり前のように膝を占領された。特別に何かをするわけではなく、前肢を折りたたんで目をつぶる。
太陽も沈み風が強くなると、ネコのことを考えて帰るに帰れなかった。
言葉が違っても、気持ちを伝えることができる。ネコのとなりに……
そんな顔なじみだったネコを突然見かけなくなった。噂で遠く離れた場所に暮らすヒトが連れて帰ったと聞く。
引き取られて今頃はソファに座っているのかな? それともあの頃のまま膝の上だろうか。
一緒に遊ぶ2匹。次第に本気になってケンカのようになった
ベンチはネコのお気に入り。それはきっと撫でられることや、膝の上に乗るなどヒトとの交流の場所になりやすいからかもしれない。
くっついて過ごすネコを見ていると、どうやら欲しい温もりは体温だけじゃないと思う。
ヒトの憩いの場所はネコにとっても大切だ。
Yunosuke Hirai
いきもの写真家。1988年生まれ。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2015優秀賞。島や商店街で暮らすネコから、イルカやヘラジカなどの野生動物も撮影。ヒトと動物や自然が仲良く暮らせるきっかけになりたい。「今を生きる」いきものの姿を伝えたい。『NikonD800ネコの撮り方』電子書籍出版
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