「ボスの定年」
現在は橋のたもとで暮らす、長屋のボス。
いや、元ボスか。
彼は支配していた長屋を突然出奔し、周囲を驚かせた。別に誰かに負けた訳ではないのに、なぜ。
もともとかなりの乱暴者だった。常に子分を従えて長屋近辺をうろついていた。
新参者には容赦なく力を誇示して独裁政権を維持していた。
そんな彼が、なぜ。
ただもう彼もかなり歳だ。若い頃は陽当たりの良い屋根の上で日向ぼっこして暮らしていた。
が、屋根へ上るのも億劫になったのか最近は地上か、せいぜい駐車場のトタン上にいることがほとんどだ。
要するに、もう若くない。新しく台頭してきたリーダー格に猫パンチをくらいそうになった時、イカ耳になったのを見た。
もう、喧嘩で勝つ力も、そして気力もないのかもしれない。
そうして消えるように長屋から去ったのだ。
元ボスが橋のたもとにいるのを見つけたのは出奔してから3ヶ月くらい後、ただの偶然だった。
彼は僕の顔を見ると、向うから近付いてきた。よお、ひさしぶりじゃないか。お互いそう思った(はずだ)。
それから堤防に再度上がり、傾いてきた太陽の光を一身に浴びた僕ら。もちろん言葉は交わせないが、なにか分かり合える気がした。
"もう歳だよ、定年定年。"
彼はそんな風に伝えようとしていたかもしれないが、あえて目を合わせなかった。
そして陽が落ちた頃、彼が突然、膝へ乗ってきた。
"これからは、こんな風にして甘えるのも悪くないね"
虚勢をはり、闘い続けた日々。僕はポンポンと頭を叩き、
「おつかれさま」
そう言って彼の第二の人生が幸多からんことを心から願った。
text&photo/Kennta Yokoo