物心ついたときから、私の傍らにはいつも猫がいました。
人見知りなくせに、ほっつき歩きが好きで、猫とはすぐに仲良くなれる少女でした。
ずいぶん昔におとなになってからも。
フリーライターという仕事を始めて、いろいろな町々を訪ねることが多くなり、取材後に、その町の商店街や路地裏や漁港などをうろつき、いろいろな猫と出会うのが楽しみになりました。いつしか自己流で写真も撮り始めました。
猫と遊んでいると、近くにいる地元の人が声をかけてくるのです。
「よっぽど猫が好きなんだねえ。その猫はあんまりなつかない子なんだけど」
そして、その猫の生い立ちやら、ちょっとしたエピソードやらを聞かせてくれるのです。
のんびりした猫のそばには、のんびりした人。やさしい猫のそばにはやさしい人が、たいていいました。
そして、どんな猫にも、うかがい知れぬドラマがありました。
猫も、私たちと同じように、愛別離苦を味わいながら生きているのに、なんて潔いさまなのだろう。出会うほどに、猫への静かな共感と敬愛が積もっていきました。
辰巳出版から出していただく猫の本は、これで4冊目となります。
フェリシモ猫部が9年前にできたときにはじまった週一回の連載「道ばた猫日記」から、9話。朝日新聞WEBサイトsippoで月連載2年目となった「猫のいる風景」から、4話。再取材と再撮影でまとめ直しました。新しい取材も4話加わっています。
テーマは、「寄りそう」。
人と猫だけでなく、猫と猫、犬と猫、そして、人と人の寄りそう情景を集めました。猫のドラマの後ろには寄りそう人のドラマも、必ずあるのです。
寄りそう人を持たない猫たちの境遇に思いを馳せ、自分たちに今できることは何か、手をつなぎ合いたいという思いも込めました。
佐竹茉莉子
奄美大島の森で暮らしていた野性の猫が、捕獲・譲渡され、はるばる東京に。はたして、すんなり家猫になれるだろうか。
写真の猫は、動物病院の濡れた流し台の中で、ぽわっとした表情で、くつろいでいた。左耳と鼻先に黒い模様のある、若い白猫だ。
譲渡先募集中の、その写真に添えられた説明には「奄美大島から来たノネコ」とある。友恵さんは首をかしげた。
「ノネコって? 最近ではノラ猫のことをこう呼ぶのかしら」
なんだか、おもしろそうな子だわ。「ゆわん」という仮の名のついたその子に、友恵さんは心をつかまれた。
ノネコとは、森や山の中で、人間に接することなく自活する野生ネコのことだと知ったのは、動物病院へ会いに行ったときだった。
鹿児島県の奄美大島では、希少種アマミノクロウサギを保護すべく、クロウサギを捕食する森の野生猫を「ノネコ」として駆除する計画がスタートしていた。
捕獲されたノネコはノネコセンターに収容され、引き取り手がなければ、1週間後に殺処分となる。
ゆわんくんも、捕獲されたノネコの1匹だ。「あまみのねこ ひっこし応援団」の団長である獣医のモコ先生に引き出されて、東京に連れてこられたばかりだった。
奄美の湯湾岳からつけた名をそのままに、ゆわんくんは友恵さんの家の子になった。
やってくるなり、ゆわんくんは、友恵さん夫妻の手やら耳やら顔やらを舐め回した。そればかりか、椅子やタンスまで舐め回す。まるで赤ん坊が舐めることでモノを認識していくように。
森の中から、マンションへ。それはミラクルワールドだったに違いない。
舐めて、跳んで、かじって、ゆわんくんは大忙し。人間を知らないということは、人にいじめられた経験もないのだ。そのためか、ころっとなついた。
友恵さんが調理を始めると、肩に飛び乗って飽かず手先を眺める。
森の生活では、毎日食べ物にありつけるとは限らず、水を飲んで空腹を紛らわすこともあったのだろうか、とにかく水が大好きだ。
「ノネコがこんなに甘えん坊とは」
「一日中、よく跳び、よく遊び、よく甘える。ほんとに可愛いです」
ゆわんくんの天真爛漫な不思議キャラに振り回される夫妻の目尻は下がりっぱなしだ。
千葉県に住む一家と暮らす、推定1歳のゆずきくんも、モコ先生がノネコセンターから引き出してきたノネコだ。
小学生の次男、桜大くんが裏庭で保護した麦わら猫のあずきちゃんの遊び相手を一家は探していた。
まだ幼いあずきちゃんより数か月年長の猫がネットで見つかった。
その写真に添えられた「ノネコ」の意味を、母親の幹子さんはネットで調べ上げた上で、迎える気持ちになったという。
思わず野生が出て、あずきちゃんに危害が及ぶのでは、という一抹の不安もあったが、一家でその猫に会いに行った。
その猫は、おっとりとしていて、膝に乗ってくるほどフレンドリーだった。
迎えられて「ゆずき」という名をもらったイケメンのノネコは、家にもすぐに順応し、あずきちゃんと兄妹のように仲良くなった。
あずきちゃんが避妊手術のため、一晩いなかったときは、ご飯にも口をつけないほど意気消沈。あずきちゃんが戻ったときは、喜んでいつまでも毛づくろいをしてやったという。
「野性動物って聞いていたのに、こんなに優しい猫で、びっくりした」と、長男の凌大くん。
「せっかく生まれてきたのに、ある日突然捕獲されて、引き取り手がなければ、その子の一生がそこで終わっちゃうなんて……可哀そうすぎる」と、家族で一番猫好きの桜大くんは、声を詰まらせた。
仲睦まじく寄りそう2匹を見やりながら、父親の達也さんは、そっと言葉を添えた。
「ノネコと呼ばれていた子だって、こうして人間とも先住猫ともちゃんと仲良くなれるんです。捕獲されたノネコを迎える家族がどんどん増えてほしいですね」
奄美のノネコとは、そもそもが、島に持ち込まれ、捨てられたり迷い込んだりして森に入り込み、自活せざるを得なかった猫たちの子孫である。「生態系を乱す害獣ノネコ」は、人間の仕分けによるものだ。
森の中で、母猫に愛情深く育てられたであろうノネコは、ふるさとの森から遠く離れて、新しい暮らしを始めている。
それぞれに、あたたかい家族のもとで。
※この物語は、2019年発行当時のものです。
写真と文:佐竹茉莉子