路上に倒れた猫が見つめていたのは、「生」というほんのかすかな明るみ。そして、やさしい手が……。
ボクは、ママが大好きだ。一日に何度も「抱っこ、抱っこ」とせがんで、胸に顔を埋める。下ろされそうになると「いや、いや、いや」としがみつく。
また、リオのやつ、ママに甘えてらあ。大きななりして。ママもリオに甘いんだから」
ナッツたちが呆れた目で見ていても、やめられない。
だって、ここは、ボクがやっと見つけた安住の場所。ママのやさしいハートの一番近くにいつもいたいんだ。
ボクは、ママのそばで、「生き直し」を始めたばかり。真っ暗闇を這いずっていたボクを救ってくれたのは、ママたちだった……。
そう、1年前のあの日。じりじりと真夏の太陽が照り続けていることだけはわかった。周りに人垣ができていることも。
ボクがいるのは、灼けたアスファルトの上らしい。最後の力をふりしぼって首をもたげ、「助けて」と叫んだ。
「生きてる」まわりがどよめいた。誰かが水を入れた容器を口元に置いてくれた。ボクは、それをゴクゴク飲んだ。また誰かが、猫缶を開けて置いてくれた。それもガツガツむさぼった。
いったい何日、食べ物も水も口にしていなかっただろう。皮膚病になってから、どこへ行っても気味悪がられて追い払われた。この通りにふらふらとさまよい着いた時には、目も鼻もかさぶたに覆われて、闇に閉ざされてしまっていたんだ。
若い声がした。デンワをかけている。
「母さん。猫が行き倒れてる。ほっとけない。チセさんにすぐ電話して、ケージを持ってきてもらって。T銀行の前!」
そうして、ボクは保護され、すぐさま動物病院に運び込まれた。ボクを助けた声の主は、大学生の哲くん。飛んできたのが、今のボクのママのチセママだった。
ボクは、「カイセン」という、ヒゼンダニが皮膚の下で繁殖し続ける皮膚病の末期だった。あばら骨は浮き出て、ひどい脱水症状もあって、衰弱死寸前だったんだ。
ボクは、チセママのおうちで治療を続けることになった。ママのとこには先住猫が4匹いた。この病気は、かさぶたからも他の猫にうつっちゃうから、ボクは大きなケージハウスに完全隔離された。
ボクの通院治療やお世話は、ママ と同じマンションに住む猫好き仲間がチームを組んで分担してくれることになった。チームには、哲くんのママもいた。
保護されて4日目に、まぶたのかさぶたが取れて目が開いた時、ボクはうれしそうな顔と歓声に囲まれてた。初めて見るのに、懐かしいような顔ばかりだった。
「わあ!こんな綺麗な黄緑の目をしていたのね」
「完治したらイケメンになりそう」
「それじゃあ、リオ・イケメン化プロジェクトの始まりね!」
ボクは、「リオ」って名をもらったんだ。ちょうどリオ・オリンピックの最中だったから。
ボクのカイセンは重度だったから、ケージ生活は8週間続いた。救ってもらったことはわかっていたけど、長いノラ生活のせいで、ボクはママたちになかなか心を開けずにいた。
「リオはいい子。お利口さん。早くイケメンになろうね」ママは、そんなボクにいっぱい話しかけてくれた。
「だいぶ皮膚がやわらかくなったね。初めて触った時は石のようだった。可哀そうに、いろんなつらい思いをしてきたんだね……」
そう言って、まだざらざらのボクの背中を撫でながら、泣いてくれたんだ。ボクの心は、太陽にあたった氷のようにとけていった。
カイセンがすっかり治って、ケージから出された時、先住猫の風太も福音もピーもナッツも、すんなりボクを仲間に迎えてくれた。
みんな、つらい過去のあるワケアリの保護猫だから、他猫の苦労がわかるんだ。
ボクの体重は、保護された時は3キロなかったけど、2週間目には4キロ半になって、今じゃ7キロ近くにもなった。とんがっていた目は、すっかり丸くなった。
遊びにくるプロジェクト・チームは、みんな言うよ。
「やっぱりイケメンだったね」
「どう見ても別猫。魔法みたい」
そう、哲くんやママたちが、ボクに魔法の粉をかけてくれたの。やさしい愛の魔法の粉を。
ボクを捨てたのも、病気になったボクを疎んじたのも人間だったけど、それでもボクは、心のどこかで人を信じてた。
あの時、真っ暗闇の中で、遠くにかすかな明かりが見えたんだ。最後まで人を信じててよかった!ボクは、今、生きてる!
だから、今日も、ボクは思いきりママに甘えるんだ。
※このエピソードは、本が発行された2018年当時のものです
写真と文:佐竹茉莉子