近年はデジタル化で写真が気軽に撮れる様になった。それでも猫の写真を撮っていると珍しがられることがよくある。
「なんで猫なんか?」と言われる。
まあ「ああ、岩合さんね」と言って理解してくれる事も多いが。
なぜ猫の写真を撮るか、理由は人それぞれだろう。単純にかわいいからとか、誰かに見せたいからとか…。
自分としては…初めて飼った猫の面影を追いかけている、とでも言おうか。
「みちのく」と名付けたその猫、もう亡くなって20年以上経つが、いまだに忘れられない。
彼女の写真は17枚しかない、もっと撮るべきだったと後悔している。(そういう方は多いと思われる)
だから。
今も出会った猫の写真を撮ることで、どこか「みちのく」と対話している気分になるのだ。それがやめられない。
もはや猫の写真を撮ることは生活の一部になっているし祈りのようなものでもある。
ところで。
以前見たニュース。120年前のタイムカプセルから見つかったフィルムを現像したら写っていたのは猫の写真だったとか。(https://petapixel.com/2020/02/25/developing-120-year-old-cat-photos-found-in-a-family-time-capsule/)
僕はこの記事を見てジーンとしてしまった。猫ブームなんかなかった頃でも猫は常に人に欠かせない存在なのだ。どうでもよいものを(当時、とても高価だったはずの)写真に残すはずはない。ましてやタイムカプセルに!
やはり今も昔も、猫(に限らずだが)という素晴らしい生命を記憶したい願望があるのだ、きっと。
何を隠そう、僕も自宅の庭に「みちのく」の写真を埋めている。目印にしてある木に向かって毎朝手を合わせている。
さてさて。ハードディスクに記録された十何万枚かはある膨大な猫写真。これ、一体どこにいくのだろう?勿論、最終的には廃棄されるんだろうけど、猫の輝いている瞬間は永遠に残ってほしいな。
ネットでバズった猫写真、100年後も人々の笑いを誘ってるなんてロマンがあるじゃないですか、ね。
【横尾健太】Yokoo Kenta
Twitter 猫島警部 @nekojimakeibu
熊本市在住。1999年より細々と猫写真を撮り始めて今では太々と猫に浸かる。2016年熊本地震で被災、一時的に東京へ避難。その先で様々な人と猫に癒されお世話になる。「ネコまる大賞」「猫の手帖キャネット大賞」「よみうり写真大賞ファミリー部門季節賞」受賞。使用機材:通常はニコンのD800、旅先はペンタックスのKP、夏はニコンのnikon1 J5。でも機材にこだわりはありません。
プロとはそれで生活できる人だと思うので、アマです。なにもかも脇が甘い性格。写真におけるスタンスは皆無です。猫さまを見ると興奮して「あ、あ、あ」となり何も考えずにシャッター切ってます。「猫を使って金儲け」よりも「金を使って猫儲け」したいな。いろんな猫に出会いたいです。