
茶室の床間には石田三成(左)と、土佐光吉筆と伝わる父・正継の肖像。
正継像は国の重要文化財
臨済宗大本山 妙心寺 壽聖院
京都府京都市
小森正孝(写真・文)
1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に、西軍の中心となって戦いを挑んだ武将・石田三成。
その一族の菩提寺・壽聖院(じゅしょういん)は京都市右京区にある。その寺は、妙心寺の広大な敷地にたたずむ46の塔頭(たっちゅう)寺院のひとつで、三成が父・正継の菩提寺として創建。
西軍が敗れて父子が亡くなり、寺院は解体されたが、後年、三成の長男・重家が出家して住職として再建し、現在に至る。その門を潜り、本堂へ向かうと住職の西田英哲さん夫妻と猫の彼岸(9歳♂)が迎えてくれた。
西田さんと彼岸との出会いは、大分県の萬壽寺(まんじゅじ)で修行に励んでいた3年目の秋だった。

襖絵は現代の絵師・村林由貴氏筆

本堂から狩野永徳の手によると伝わる庭園を眺める

元気よくあちこちを探検したがる彼岸にリードを持つ西田さんも大忙し
「寺の道場で老師(師匠)や他の修行僧たちと昼食をいただいていた時のことです。台所から『ニャー』と小さな声が聞こえました。やせ細った子猫がいたのです。食事中は会話ばかりか音を立てるのすら厳禁なので、黙々と食べていたのですが……」
老師は猫好きだった。「何をしている!?早く捕まえろ」と弟子たちを叱って保護させると、食べ物を与えるよう命じた。
翌週、老師は突然一同を集める。説教と思いきや「保護した時期に因(ちな)んで、猫の名は『彼岸』に決めました」と言い渡す。仏教において彼岸とは煩悩の川の向こう岸にある境地を指す。
尊い名をもらった子猫は、ゴハン係の西田さんに懐いた。だから壽聖院の住職となって寺を出ることが決まった時も「猫も連れていくんだろうな」と念を押されたという。

保護当時の後ろ足のケガは、相談した何人かの獣医師が口をそろえて切断を勧めるほどの重傷だったが、
最後に相談した獣医師の手術で切断を免れた。「この先生は仏様かと思った」と西田さん

彼岸と出会って西田さんは犬派から猫派に転向したそう
そんなお話を伺っていると、彼岸が本堂にやってきて日向で寛(くつろ)ぎ始めた。
「人は集中すべき時でも余計なことを考えてしまいます。『猫を手本にしなさい』と老師は話されましたが、今ではその意味がよくわかります」と、西田さん。窓辺の彼岸は、今この時、眼前の事柄に集中する「三昧の境地」にあるよう。
窓辺の彼岸は、今この時、眼前の事柄に集中する「三昧の境地」にあるよう。

散歩を楽しむ

客間や本堂で昼寝に励む
大きなガラス窓の外側には、絵師・狩野永徳が桃山時代に設計したと伝わる庭園が広がる。禅僧のような境地でその景色を眺める彼岸は、これからも檀家に可愛がられ、寺の看板猫として多くの人に愛されることだろう。
臨済宗大本山 妙心寺
壽聖院
京都府京都市右京区花園妙心寺町44
TEL 075-462-3905 ※拝観要予約
https://jusyoin.com
X(Twitter):@jusyoin
Instagram:jusyo_in
Komori Masataka
1976年生まれ、愛知県一宮市出身。大阪芸術大学写真学科卒業。同大学副手として研究室勤務。現在フリーカメラマンとして猫撮影を中心に活動。「2025年 招福! お猫様カレンダー」(アート・プリント・ジャパン)が好評発売中。