猫は場に紛れる天才だ。僕はこれを「まぎれねこ」と呼んでいる。たとえば。
家と家の間の狭い塀。僕にとってほんとに「へぇー」としか言いようがない。
そうです、ダジャレです。
通勤途中にある塀だから毎日毎日、朝ごはんのおにぎりを食べつつ通り過ぎていた。
いつもどおりの日。
たまたま塀の前で立ち止まり靴ひもを結んでいた。すると2匹の猫が塀の上からこちらを凝視していた。
あれ、いたの!?
視線の先にはおにぎり…。もしかしたら毎日見られていたのかも。まったくわからなかった。
下町の裏路地。
もう閉店した理容室の前で馴染みの猫ちゃんと遊んでいた。さわさわ。なでなで。
猫と遊ぶのに夢中になっていたら…突然、猫ちゃんが逃げて行った。あれれ、どこいくの。なんか悪いことしたかなぁ。
立ち上がって帰ろうとすると理容室の扉に猫が張り付いていた!
あれ、いたの!?
にゃあ、と言い近付くとサッとカーテンの奥に消えていった。なにがしたかったんだろう?(更に偶然にも別の日、別の場所で全く同じ事がおこったのです…)
柴又帝釈天。
寅さん気分でブラブラ歩いていた。
おみやげ屋さんでだるまとか寅さんグッズを見ていた。おもちゃもある。モデルガンかぁ、なんで観光地に刀とかモデルガンってあるんだろ?
とりあえず懐かしいのでモデルガンを手に取ろうとしゃがんだ時。白黒猫と目が合った。
あれ、いたの!?
おみやげが満載されている棚の下に「この猫も、おみやげ?」という具合に"陳列"していた…。
他にもカーテン越しに、すだれ裏に、屋根上に、花壇に、看板内に、住宅の隙間に、自販機上に、商品棚下に、天井上に、窓際に、鉢植えに、裂け目に…挙げればキリがない。
山崎まさよしの歌「One more time,One more chance」の歌詞の中に
『いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに』
とある。
猫好きな僕は
『いつでも捜しているよ どっかに君の姿を ゴミ箱の上 空き箱の中 こんなとこにいるはずも…いるかも』
と聴こえてならない。猫はどこにでも背景の様に溶け込んで気付かない事が多々ある。猫の素晴らしい特性、本能だ。
いまもあなたのすぐそばにいるかもしれない。
TEXT&PHOTO/KENTA YOKOO