東日本大震災のあと、美幸さんは被災地に通い続けた。人のいなくなった町に取り残された小さな命を救うために。
埼玉県川越市にあるシェルター「またたび家」には、およそ70匹の猫たちが暮らしている。
来たばかりの猫のための検疫部屋、ノンキャリア部屋、猫エイズキャリア部屋。どの部屋も明るく清潔で、ゆったりと猫たちがくつろいでいる。
行き倒れていた猫、交通事故に遭った猫、行政施設から引き出してきた猫、捨てられていた子猫……。
さまざまなワケアリ猫たちに混じって、東日本大震災の被災地福島から来た猫も4匹いる。
くまたん、ミルキー、ストラ、なごみ。エイズ部屋のなごみは、人一倍の甘えん坊だ。
やさしい笑顔を絶やさず猫たちの部屋を回り、猫たちに膝の取り合いをされているのは、このシェルターを作った美幸さんだ。
個人で地域の猫たちの保護活動をしていた美幸さんは、2011年の東日本大震災の被災地状況に、いてもたってもいられなくなった。
直後に、物資を積んで被災地に駆けつけた。原発事故での立ち入り禁止区域に取り残された犬猫がたくさんいることを知ると、こんな思いが突き上げた。
「救いを待っている犬猫たちのために、自分にできることをしなければ。今、すぐに」
同じ思いの個人ボランティアたちと現地で集合し、手分けして、犬猫への給餌と保護をし始めた。
猫ベッドが窓辺に置かれたまま朽ち果てた家を見ると、ある日、いきなり寄りそう人をなくした猫たちの身の上に胸が詰まった。
運転席以外は天井まで捕獲器やキャリーを積んだ。立ち入り時間制限があって、連れてくることのできなかったいのちを思うと、今も胸が張り裂けそうだ。無我夢中で通い続けた8年間。
「この3月、通っていた地区にもう猫がいなくなったことを確認して、いったん保護活動を終えました」
収容保護猫の数が増えていったために、シェルターを作ったのは5年前。20名ほどのボランティアが、時間の融通をきかせあい、シフトを組んで猫たちの世話をする。
病気のある子もない子も、人懐っこい子もビビりの子も、子猫も年寄り猫も、「うちの子」のようにたっぷりと愛情を注いで、譲渡先へ繋げる。
やはりノンキャリアの子猫から譲渡先が決まりやすいが、被災地から来た子も年に数匹、キャリアの子も年に2〜3匹、おうちが決まる。
交通事故で半身まひになったレオくんにもおうちが決まったばかりだ。
あすかさん一家に迎えられた三毛猫「ままち」も、またたび家の卒業生だ。5年前に美幸さんが大熊町から連れ帰った子である。
一家は、ネットの募集サイトで「にぃ」と「しぃ」の兄妹を迎えたあと、その子たちの母猫「りぼる」も迎えた。りぼるを見送ったあと、迎えたままちが家の中を明るくしてくれた。
ままちを大事そうに抱えたお父さんは、言う。
「被災地から来た、ということをとりわけ意識はしませんでしたが、ご飯を食べるときや夜にトイレに行くときに『いっしょに行こう』と誘うんです。よほど怖い思いをしてきたんだなあ、と思いました」
ツンデレ気味で、名前を呼んでも来ないことが多いままちだが、「ままいちばん」「ままいいこ」には、ホイホイやってくるそうだ。
いざというときの同伴避難のためのキャリーは、ちゃんと3つ用意してあるという。
都内に住む浩美さんの家には、またたび家から迎えた猫が3匹暮らす。
4年前にやってきたのは、当時2歳の灰色の雌猫アメリ。交通事故に遭い、負傷猫としてセンターに収容されていたのを、美幸さんが引き出して治療のあとに譲渡した。
その3か月後に迎えたのが、当時6歳の雄猫チャロ。会社の庭で面倒を見てもらっていた外猫たちの1匹で、会社が倒産したあと、またたび家に保護された。
2年前に迎えたのが、当時4歳だったキジトラの雄猫イブである。
イブは、楢葉町で、大震災の3年後のクリスマス前に保護された。
イブとチャロは、シェルター時代からの大親友で、再びひとつ屋根の下になってからも、男同士よくくっついている。
またたび家の活動を支援する浩美さんは、「自分にできることを」と、ちゃすけという猫の預かりを引き受けたばかりだ。
送り出した猫たちが、家族や先住猫たちと寄りそって暮らしているしあわせだよりを受けとるときが、美幸さんたちの、無上の喜びであり、エネルギーにもなっているのだ。
「見捨てられた子やさまよう子。どの子も、ねぐらやご飯に困らないあたたかな居場所を持てますように。どの子も、誰かと寄りそって生きていけますように」
その思いを束ねて、美幸さんたちの活動は続く。
※この物語は、2019年発行当時のものです。